もっこんようボンド

f:id:Miyabi717:20190513123831j:image長年間違えて覚えていた言葉は皆さんにもあるのではないだろうか。意味であったり読み方であったり、それらの齟齬は「言葉」というものが様々な場面で刷り込まれる性質を持つ為、仕方がないことだと思われる。今回このレポートを書くにあたって色々と内省してみた。が、特にこれといって思い浮かぶ体験などが少なく、内容の薄いレポートとなってしまったことを陳謝したい。学習と成長の過程で齟齬が生まれないことはまずない。今でも気づいていないミスが数多くあるのだろう。

私の齟齬は同音異義語によって発生した。同音異義語とは単語の読みが同じだが、意味が異なる言葉のことだ。漢字テストの面白回答や謎かけで使われる場合にはテクニックとして扱われることが多い。試しに「げんご」とスマホに入力すると「言語」「元号」「ゲンゴロウ」など様々な文字が並ぶ。『「日本語」とかけまして「令和」と解く。その心はどちらも「げんご(う)」でしょう。』とやれば一丁あがりだ(お後はあまりよろしくないが)。しかしこれらは逆算的な同音異義語の使い方であり、"わざと"ミスを引き起こして妙を楽しむものだ。正規の手順を踏んで「間違えた」場合、同音異義語は厄介極まりないシロモノと化す。

前置きが長くなった。自らの体験について述べていきたい。

舞台は幼稚園、図工の時間まで遡る。何を作っていたのかは忘れたが、木と木を接着する工程があった。そこで用いられた「木工用ボンド」であるが、私はその言葉の響きが気に入り「もっこんようぼんど」などと発音していた。時は流れて小学生時代。またもや図工の時間がやってきた。本を読み漢字を覚え、賢くなった私は以前のように「もっこんようぼんど」などと発音することなく、それが「黙考用ボンド」だということを知っていた。さあ各テーブルごとに配られたボンド。その表面に書いてある文字を見て私は驚愕した。「木工用…ボンド…?」

打ちひしがれた私は家に帰って辞書を引いた。木工とは木で物を作ることを言うらしい。

さて、ならば私はそこで抵抗を覚えただろうか?今まで信じてきたものが足元から崩れ去ったのだ、抵抗を覚えるのも無理はない。「あなたの母親は実はマツコデラックスなのよ。明日からデラックスさんと暮らしてね。」と突然言われても納得できないだろう。

だが実際は違った。それまで何のイメージも伴わなかった黙考用ボンドは崩れ去り、木と木をつなぐ木工用ボンドという、言語を介さないイメージが脳に記憶された。あの日の「もっこんようボンド」は、これから先の人生でもずっと木工用ボンドであることが決定づけられた瞬間だった。

 

しかして今になって思うのだ。あってもいいではないか、黙考用ボンド。一人静かに思索する免罪符。試験前の学生さん、万事に追われる主婦さん、満員電車に揺られるサラリーマンさん、おひとついかがですか?